開業時には幼かった娘たちも巣立ちました

その創業は1997年。
あれから、あっという間に二十年を軽く超えてました。
その間、この家族が私を支え助けてくれました。
この4人家族で、私の脱サラから運送業が軌道に乗るまでの大変な時期を一緒に過ごしました。
1997年開業当時は、私も妻も三十代前半の若者で長女は小学生、次女は幼稚園で子供達には、母親が必要だった時期です。
私は仕事中心の生活へ妻を巻き込み、幼い子供達が気にならないわけでは無いのに、今は頑張る事で将来は家族が楽になる。そんな考えでした。
全ては家族の将来の幸せのためだと信じて、目の前の今現在の家族に負担をかける未熟な父親でした。
そんな未熟な父親の娘とは思えない優しい2人の娘と妻です
松島観光

この写真は、地元宮城の代表的な観光スポットで日本三景松島です。
娘2人とも我が家から巣立って久しいので、こんな風に4人で昔の家族で揃うなんて滅多に無いの貴重な時間でした。
那須高原SAにて
那須高原SAのトイレの人型マークに同化して見ました。このアイディアはシャッターを切ってくれた長女です。

妻のお陰です
安定した上場企業のサラリーマンを辞めてしまったので、妻には言葉で言い尽くせない苦労をかけたけれど、そんな私を仕事も家庭も支えてくれた妻で開業以来、妻には全く頭が上がりません。
本当はサラリーマン時代からそうなのに当時の私はそこには気づかなかった。
昔の日本では、妻は夫の後を歩くとか言ってた時代もあるそうですが、私の場合は、妻の後ろを歩いてちょうどいい位ですね。
脱サラして良かった
サラリーマン時代の私は、「俺が稼いで来ているんだ」と言う気持ちが強かったと思います。
上場企業のエンジニアとして、自分が優秀だと勝手に思い込んで恥ずかしい。
このダブルで嫌な奴でした。
当時の私は、それでも家族の幸せの為にと、本人的には真剣に頑張っていたのです。
それがいつの間にか本末転倒して仕事最優先で、家族を配慮できなくて偉そうな嫌な父であり夫だったろうと思います。
そんな未熟だった私なのに、家族は良く耐えてくれたと思います。
しかも、そんな私に唯一の長所だったかも知れない、安定した大企業の正社員の立場を捨てました。
そして事もあろうに不安定極まりない個人事業の軽貨物屋さんになると言った時ですらも、家族は誰も反対しないでむしろ私の選択を応援してくれました。
そして実際に赤帽業務スタートしたけれど、当初はまだ技術バカで運送屋さんとしては使い物にならなかった私をカバーしてくれた妻でした。
この妻がいなければ、現在の株式会社ももちゃん便なんて無かった心より感謝してます。そして過去から現在まで、ももちゃん便に依頼を下さる皆様感謝です。
両親元気にも感謝
私の両親は昭和10年生まれですが、未だ元気で夫婦で外出を楽しめる行動力です。
これを書いている今日も両親は夫婦二人でバスで外出して仙台市中心部に行ってます。
普段も近所のドコモショップ主催のスマホ教室に行ったりと人生を2人で謳歌しております。
両親が今もこうして健康でいてくれるおかげで、私は妻と二人で安心して長距離チャーター業務にも邁進できます。
親が健康である幸運にも感謝ですし、赤帽を開業した当初の赤字経営を支えてくれた両親でもあります。
長女も既に母になった
赤帽開業当時、長女はまだ小学生でしたが、今では逆に小学生の母となってます。
赤帽開業してからこれで完全に一世代の時代が回ったんですね。
世代交代の速さ感じる今日この頃です。
そして、今の仕事が長きに渡って継続出来ている事に改めて感謝が湧いてきます。
妻と長女のツーショット
長女は東松島市へ嫁いで普段はあまり会う事はありません。
でも、この日は、東京で声優、女優をやっている次女の舞台観劇に久しぶりに親子三人そろってで東京までのドライブでした。
那須高原サービスエリアで買い物をして、羽生パーキングエリアの鬼平江戸処では長女が好きなうなぎを堪能しながら東京へ向かいました。


久しぶりの姉妹再会
左が次女の絵理香で、現在、女優&声優として東京でフリーで活躍中。
みなさま是非応援してくださいね。
左側のブルーのTシャツが絵理香で無事公演終了してホッとした所です。
今回の公演では、少し前に交通事故にあって全身に怪我を負ったまま参加したので、痛みとの戦いもあったらしく達成感も普段以上だったそうです。
右の茶色のダウンの長女は、久しぶりの妹との再会で涙もろくなってしまったようですが頑張って笑顔で撮れた1枚です。

次女の絵理香は声優人気商売でもあり当社HPにもイメージガールとして

- 学生時代はバドミントン部でした。
- 水泳も得意なので仙台市内のスイミングスクールでは先生のバイトもしてました。
- 小学校時代には極真空手(大道塾)で二年間くらい空手を習いました。
- そして、芸能に入る前の社会人経験としては、仙台の有名な菓匠三全の社員として働かせていただきましたので、社会人として礼儀作法もバッチリ。
こんな色々なスキルのある女優、声優が必要と思った業界の皆様、是非、桃井絵理香へお声がけください。
猫も元気
我が家の飼い猫も今は高齢ですが、開業当時は赤ちゃん猫の捨て猫でした。
この猫も今でも健康です。
私が早朝5時に起床すると、「にゃー」と朝ごはんをねだってきます。とても臆病で人見知りな猫なので、私が東京からUターンして来た頃から何年間も近寄って来ませんでした。
家族それぞれ健康で過ごせているだけでも、どれほど幸せな事かとこの年齢になると思うようになりました。

とても臆病な猫です
この猫はアケと言う臆病な女子です。
赤ん坊の頃に近所に捨てられていたのを絵理香が学校帰りに発見して連れてきました。
でも当時の我が家は犬、猫2匹、プレーリードッグ2匹、フェレット、亀、その他の動物多数で、とても受けきれなかったのでネットで里親募集して、引き取られて行きましたが、その里親先で数ヶ月育てて頂いたのですが、出戻りさせされてしまいました。
大人の猫になってしまった後の捨て猫では、誰も里親になってくれないので我が家で引き取り正式に家族となった猫です。
当時はたくさんいた生き物たちも加齢と共に減って、今では、このニャンコさんだけになりました。
私を描いてくれたイラスト
姪っ子が書いてくれた私のイラストです。最近、日光金谷ホテルで披露宴をした姪っ子が座席に置いてくれてたメッセージカードです。まるでプロ並みですね。

今でこそ、この絵のように楽しく生きてますが、開業から15年間くらいは、歯を食いしばって、額にしわ寄せて、売り上げを増やすことだけに力んで家族に沢山の迷惑をかけて来たなあと思ってます。
これから先は、このイラストのように笑って過ごす時間を増やしたいと思ってます。
ありがとうございます
私の家族紹介を最後までご覧いただいてありがとうございます。
これら家族の協力があって、脱サラして今に至るまでやってこれました。